独り善がりは大通りに寄り添う
偉大な人混みは錆付いている
居心地の悪い烏はずっと
無い物ねだりの風見鶏と対話

金属片を踏み付ける度
この容貌は単調になる

幸せの意味ばかり
横断歩道で考えている
もっと裾を捲り上げて
盛大に高笑いたい
肯定し合う人を見出だせず
そぼ降る温度を拒絶する

雨に打たれた子猫は幸せ
追いかけてきてもらえるから


夢を見て打ち棄てられて
またも逃げ込んだ大通り
素晴らしい雑踏に紛れて
勝ち誇っては痺れを切らす

今日の爪を称賛して欲しい
この肉は刹那的になる

幸せの意味を知って
騙された路地裏のあそこ
疎ましい人形ばかりが
信号を待って自滅していく
心地良い体温見出だせず
濡れる我が身を大地に突き立てる

雨に打たれた子猫は幸せ
必ず追ってもらえるから


雨に打たれた私は幸せ
仔猫を通して妄執へ走るから










続きで解説です。
都会の大通り、夕方。
曇り空には雨が降っている、かもしれません。
少なくとも、「私」の目に映っている景色は土砂降りです。

都会の人々は無表情。
無意識か意識的か。
人混みの様に、「私」の意識は混濁していきます。
幸せとは何か。
この通りを歩く人々は幸せなのか。
時に騙されて、時に不意打たれて。
それでも大通りは表情を変えません。

この詩における子猫とは「愛すべき存在」です。
愛らしい声で鳴き、人間の庇護欲をそそる。
無機質な大通りも子猫が一匹いるだけでほんの少し空気が変わるでしょう。
そして「私」は思い描きます。
一匹の子猫が、もしも自分であったならと。

もし一匹の子猫が雨に打たれて悲しく鳴きながら足を引き摺っていたら、恐らく
誰かしらが手を差し伸べてくれるでしょう。雨宿りの出来る場所へ抱き上げてく
れたり、家に連れて行ってくれる人もいるかもしれません。
それは損得関係無い感情によるものであり、「私」は次第に思い描いた子猫に自
らを投影します。
土砂降りの世界の中で、自分にそのようにしてくれる存在はあるのか。出来るな
らそうであって欲しい。

「子猫」は文字通り生物の子猫、「私」は人。
故にこの詩の中の「仔猫」は「私」が自己投影した「子猫」を指しています。

土砂降りでも私は幸せ。
仔猫になって自分で幸せを得られるから。
…というのが最後のまとまりです。
しかし、本当は皆そうなのではないでしょうか。
通りを歩く誰もが仔猫を望み、それ故誰も誰とも繋がれない。

人は仔猫ではいられない。ではどうするべきなのか。
「私」は其処までは到達する事はできませんでしたが、テーマ的には其処まで掘
り下げて書いてみました。
何かを感じて頂ければ幸いです。


ご清聴有難うございました!

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